ニッチです、がなにか?

ちょっとしたはずみに聞こえてきた、重大な局面で漏れてしまった、今日という日に限って気になってしまう言葉と仕草と映像。かっちりとうまく頭の中で噛み合ってる分には、どうってことないのだけど、ふと踏み外した意味世界に立ち往生することしかり。

そんな(どうでも良い)たわごとが集まって流れる岸本佐知子の「何らかの事情」「根に持つタイプ」(ここまではちくま文庫)「気になる部分」(これは白水uブックス)。全てはこれ、ニッチな岸本空間における些細な矛盾と、されど捨て置けない引っかかりだらけの(ぐち、あるいはたわごと)が、1日の最後を、単身赴任アパートの、寒く乾燥する室内で、電気カーペットからのぬくもりを頼りに、息子からのお下がりである「真綿かい巻き」で包まれた、私の貴重な(?)時間を奪う。「ふぇっ、ふぇ」とほくそ笑みながら1テーマをゆっくり賞味させていただく醍醐味。

「なんらかの事情を知っているものとみて」、家が全焼したにもかかわらず生き残り、「大変なことをしてしまった」という言葉とともに、行方知れずとなった「この家の次男」を探しているのだという。そう、そう、そうなのだよ。何もわかっちゃいないのだが、大変に怪しい事柄が来週に続く。乞うご期待というところが「知っているものとみて」というあたりに連動する。
「素敵なアロマ生活」は、あっという間に「・・・でごわす」という脳内喋りに席巻されてしまい「アロマでごわす」とかって、すべてが「ごわす化」言葉でわんわん囁かれてしまうから、結局のめり込めない。素敵にならない。
勝ち負けが嫌いなあまり、オリンピック競技を(もっとスポーツの原点に帰るような??)「唾シャボン飛ばし」や「猫のはやノミとり」にして、1位はどんぐり、2位は煮干し、3位はセミの抜け殻にしてしまう。・・・、にしても、結局「どんぐりの獲得競争」を始めてしまうオリンピック、だから嫌い、とか。

こんなニッチなこだわり、あるいは日常的引っ掛かりって、何なのか?
最近のfacebook上にも、単語のデザインに現れた「縮約表現」が、それが書かれたテイッシュ箱を、無意識にテンソル空間に落とし込めようとしてしまう、などの報告もあった。

そういえば、赤瀬川の「トマソン運動」に出てきた「四谷の純粋階段」「江古田の無用窓口」「お茶の水の無用門」などの、ほぼ無価値に存在する物体。「夜中のバラ」だと思っていた向田邦子の悩み。野球グランドの整地に使われていたという「重いコンダーラ」。タモリの空耳アワーってのも、この種属かも。

完全な誤解の産物から、誤解してないけど結局意味(深長すぎて)不明な言葉、あるいは物体にいたるまで。それらにハマってしまう日常をどうしてくれる。

噛みしめると安心する「乾燥ホヤ」とか「ミヤコ昆布」みたいなこだわりが、なぜつきまとうのか?

好奇心を生み出すちょっと前の、ブクブクと泡立つ(?イメージで捉えてしまう)、我々のCPUのアイドリング?。
暖機運転中に見え隠れする心身からの通信を捉えている状態を指すのかもしれない。

「やぁー、やぁ~。今日もブイブイだね。」「何がって、ほら北朝霞から大宮に至る、ほとんど旅客を気にしない貨物路線上の列車が、延々と長い長~いトンネルをひた走るとき」、「地上のアパートとマンションで、それに交差点や渋滞気味の道路に、どれくらいの人間が動いてるのだろうか?」と、湧いて出る人間集団のイメージってのは健全なのよ。中毒となった密集地帯の数メートル下を移動中の我々は、(お江戸じゃなくて)密かに大宮駅へと集結するのであった。

北朝霞のホームは狭くて、(多分毎朝)駅員さんが1,2番線の乗車口で安全を確かめている。行く先は、西国分寺・府中方面と南浦和・西船橋方面のみ。大宮方面は果たしてどっち?
そこに立っていた女性駅員さんは、(分からないですよね、と言いながら、15分後にやってくる)直通大宮行きを勧めてくれた。

「むさしの号」は隠密列車。日に数本しか走らない。密命を帯びた人間にしか利用できない車両であるがために、駅員さんは、あの雑踏の中で「少し待てば直通でいけますよ」と、(密かに)囁いてくれたのに相違ない。

「貨物」となって大宮駅を目指す我ら。わずか20分。

政府の中央集権化圧力にも屈せず、元国鉄マンの夢でもあった「大東京環状路線急行(ではないが・・)」は、今も粛々と運行されている。あまつさえ、県庁所在地と名乗ること能わなかったこの街。ひたすら庶民の味方を貫く大宮市繁栄のため、懐中に深く納めた新都心構想の本筋を見誤ることなく、むさしの号はひた走る。中央本線・武蔵野線・東北本線を束ねた、その勇姿。

「毎日運転の臨時列車」よ(来週に続く)という呼び声がこだまする(ことはない)・・。

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