那珂湊港の浚渫工事

ここに住み着いておよそ10年。ほぼ2年に一度ほどのペースで那珂湊港内のどこかを浚渫している。よほど砂の流れ込む地域、ということなのだろうか?
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近隣の大洗サンビーチも、今や大洗砂漠とよんでいいほどに砂が溜まり、ずっと昔に設けられたサンビーチ専用駐車場から海辺までは40分ほど歩かなければならない。方や「東洋のナポリ」と称された、キレイな水面で賑わう阿字ヶ浦海水浴場の砂浜は年々狭くなり、海水浴客がのんびりできるスペースは限られている。鹿島灘から北茨城にまたがる常陸の海辺の地理については、茨城県の土木調査書に詳しい。それによれば、阿字ヶ浦の砂の侵食は、常陸那珂港建設の影響で、すでに対策も練られてはいるらしい。サンビーチは、その南に位置する大規模防波堤によって、南の鹿島灘海岸の侵食による砂が大量に堆積したためと考えられ、その対策に鹿島灘海岸における離岸堤やヘッドランド設置が行われている。例の悪名高い離岸流の発生原因でもあるが。

那珂湊港も、同様の「大規模構築物」による人災的な要素を含んでいるのだろうか? 調べてみると、どうもそうではないらしい。往年の遠洋漁業の基地の役割は終えたものの、「さんま棒受網漁船やかつお一本釣漁船などの廻船利用や、大型廻船による陸揚げのほか、底曳き網を主体に、船曳き網、釣 り、採貝、刺網等」を営むために、港内浚渫事業として始めたものだった。事業開始は、平成14年。大震災による中断時期を加えて、平成33年度までの長期事業とのこと。

44億近くの予算をかけて、営々と続けられている事業は、とても地味に進められている。
そのせいか、仕事を終えた週末の浚渫船も、どことなく孤独に見える。対岸に栄える「魚市場」に並ぶ魚介類が、那珂湊港由来でないことを知れば、地場産業としての漁業の衰退とは関わりなく、三次産業的「漁業」がブランドとして棲み着いてしまったことがわかる。それはこの街に、とても僅かな勝ち組を生み出したが、漁師の役に立ったわけではない。我が家の周りにも、往年の漁師が暮らしている。昔の網元から土地を買い、暮らしを立ててきた人々の最近は、陸の上の仕事ばかり。船を走らせる燃料代との競争だという人もいる。漁獲が減ってしまったことが背景にあって、安く回る物流が脇を固めている時勢だから。
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土砂運搬船が、積み出し先に戻ったあとで、自らのクレーンを海底に突っ込んでは持ち上げ、ゆっくりと前方の停泊場所に向かって帰っていった。
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北関東道でやってくる釣り人には、今でも素敵な漁港。これからも素晴らしい漁港で有り続けてほしい。

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