連れ合いは長期単身赴任中(その2)

連れ合いの長期単身赴任は、これで二度目。先週末から、(たぶん)一月半の予定で、夜の茨城空港を飛び立っていった。7700円で茨城から神戸まで行けるんだから、めちゃ気楽。
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(離陸中の飛行機をiphoneでキレイに撮るのは、私には無理であることがわかった)
果たして、どのような顛末となるのかは不明。

第四侯の「土脉潤起」の季節。命が外界にゆっくりと出てこようとする時期。騒がしい春の到来が地面の下から伝わってくる。待ち遠しいような、むさ苦しいような、それがなければ時間は巡らないのだ、とでも言うかの如く傲慢でざわつく雨水の初侯。その喧騒にふさわしい出張となるのだろう。

残された老人とそのなりかけの2名。冷蔵庫に残された食材を無駄にせず消化しようと、おさんどんには気を使う。
問題は生鮮食品。なにせ、(出かける前に)庭にあった大根を、わざわざすべて(6本!!)引き抜いていったのだから。生の卵が16個も放置され、それでなくても瀕死のキャベツとセロリ、長ネギ、ピーマン、縮ほうれん草とニラが、幾分活力を失った顔をして横たわっているのだから(ま~人参はさておき)。少しづつ溜まってしまった白飯がタッパに2つも控えてるのだから・・・。それだけじゃない。(好き嫌いの激しくなった)老人が、もはや飲まなくなった自家製豆乳ヨーグルト。(いつからか?)水につけたままの蓮根7玉。
(調理も放棄した)老人とともに、これら(+アルファ)の食材をなんとかやっつけ無くてはならない。幾分は整理して出かけたのかもしれないが、簡単に腐るものが多すぎ(だからでかい冷蔵庫はいらんのだ)。私に与えられた時間は、ほぼ毎週の土・日、2日間。

1週間を経た本日。大根1.5本は(ちゃんと昆布入り)煮付けにし、卵10個は茹でて(それぞれの殻に顔を書いて)日持ちさせ、週日に少しづつ食べていただく。セロリ、人参は、鶏の裂き胸肉と絡めてサラダになってもらい、縮ほうれんそうと豚ロース肉は腐乳炒めに変身させた。2パックの飯だって、カレーや粥となって消えていったのだ。2週めの本日は、もはや余裕。
仕事帰りの高速を降りてから、ふんふん(♪)とスーパーに立ち寄って、セロリ、アスパラ、生卵のお買い上げである。「美味しいものを少しづつ」などと言いながら料理を楽しめるレベルまで復旧できたことの喜びがこみ上げてくる(大げさな)。唯一、あまり好きじゃない蓮根が放置されたままだが、今朝の会話によれば、(不思議なことに)老人の調理対象となるらしい。知ったことかである。

さて、3人生活の週末が、2人生活になると、どうなるのか?
相互作用の機会が落ちるのは明白である。3人の場合、A-B, B-C, C-A, A-B-C(ここで、A,B,Cはそれぞれ異なる人間)という4通りの相互作用にかける時間が生まれるのだが、二人だとA-Bしかありえない。もちろんA-B-Cという三体の相互作用はないことに注目しておきたい(職業柄)。
会話だとか、喧嘩だとか、食事だとか、掃除だとか、すべての人的相互作用はなんと1/4。結果、生まれるのは、3人生活時代には思いもよらなかった「自由な時間」、すなわち独立粒子としての個人の時間の増大である。これは、コメが二粒と三粒の粥では、ねっとりさが大きく異なる、という予想でもある(・・ゔ、ちょっとおかしい)。

おかげで、先週は日立鉱山の大煙突(上部2/3が折れてしまったが)、日鉱記念館ときららの里、御岩神社を車で駆け巡ることができた。何という気ままな時間!!消費できる金があって、乗りこなせる車があれば、「自由な時間」を満喫できるのよ。
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こちら、新田次郎で有名になってしまった「大煙突」。それが鉱毒事件で世間に知られた足尾銅山を追いかけるように生まれた日立企業の基盤となる銅精錬所のものであり、亜硫酸ガスによる鉱毒を大気拡散によって(よりひどくなった地域もあるが)「なかったコトにしましょ」と低減させ、長く熟成させた「一山一家主義」のもとに見舞金を払うことで、(なんとか)反乱を免れた巨大鉱山のモニュメントであることは、ここではこれ以上触れない。
兎にも角にも、とんでもなく掘り進んだものだ。そこから沸き上がった資金(の一部)は、城下町を生み出し、その傘下に数多くの企業と工場を生み出したのだから。久原房之助の人となりが、いたるところに積み上がってる聖地なのだろう。
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「きららの里」では、地域一帯の地面が雲母でキラキラしてるから、との謂れを知り、御岩神社へ。常陸風土記に記載があるとかでパワースポットになり、ずいぶんと観光客がいる。根元が一本の3本杉とか、「珍かじゃのう」、「県の指定天然記念物じゃし」。
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桜門(大仁王門)は艶やかで、聞けば平成に再建されたものだった。
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以上が先週の観光報告。

今週末は何する?
「断片的なものの社会学」以来、気になる岸政彦さんほか、(最近の?)社会学者を集めた座談会本「社会学はどこから来てどこへ行くのか」(有斐閣)を読みぬく予定。まだ1章の段階だけど、懐の広い(社会学)の気になること、おかしなことが満載で、相当に面白そう。

それと、こちら。
実は、この写真を残したいからこそ本日のブログを書いた、といってもいいほどの重要さ(!?)。
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素晴らしい装丁の「伊丹十三選集」(岩波書店)!!
彼は「ジャギュア」を生み出し、「マイクルのキャベツ」を世に知らしめた。おしゃれで優しく繊細なエッセイで高校生時代の連れ合いを魅了した。その文章から、あるいは映画作品からも見えてくる、生きることへの厳格さは、読む者を誘惑し、感動させる。山口瞳が「ヨーロッパ退屈日記」(文藝春秋)の裏表紙に「中学生・高校生に読まれることを希望する」と載せた所以だ。
完成度が高い選書の中に生まれ変わった彼のエッセイは、ずっと読み継がれるに違いない。読み継いでいただきたい。
フリークな連れ合いが、「特製ポストカード」をゲットするため、メモまで貼るくらいなのだから、伊丹オタクは(きっと)半端なくいらっしゃるはず。

特撮ガガガも面白いが、真剣さが勇気になることを示していたのは丹羽庭だけじゃない。

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